5-1 弥生時代から主食は”ごはん”

5-1 弥生時代から主食は”ごはん”

米の飯を中心に魚や肉、野菜などを煮たり焼いたりと、いろいろなおかずを添えるいわゆる主食と副食の型をとるのは、日本や朝鮮半島、中国南部、東南アジアといった米作地帯の特色です。これに対して、欧米などでは米は野菜として扱います。

 日本ではすでに弥生時代からこの型がとられていたようで、奈良時代には常食という言葉がすでにあります。飯を主食に汁とおかずがおのおの一品という一汁一菜が基本でした。おかずが多い時で二、三菜。貴族の宴会の場合はたくさんのおかずが並びました。しかし、料理はすべて冷めており、唯一熱いものは汁だったので、これを「あつ もの」と呼びました。今の私たちの夕食の膳は内容こそバラエティに富んでいますが、皿数だけでは当時の中流階級並みといえるでしょう。
一汁一菜と高杯

 平安時代の貴族の食膳には、高杯に高盛りの飯を据え、まわりにおかずの皿を並べるのがしきたりで、この高盛りの飯が主役だったことから「おもの」とよば れ、まわりのおかずを初めは菜(な)とか菜(さい)とよんでいました。この菜をおものにあわせて食べるので「あわせ」、あるいは飯のまわりに並んでいるの で「おまわり」、ぐるりとひと巡りするので「おめぐり」。そして、これらの数が多いことが御馳走だったので「かずもの」、後に「おかず」と呼ぶようになっ たのです。日本人のご馳走観は、この当時からおいしい飯を食べ、おかずが少量であっても品数の多いことに重きを置いていたようです。もっとも、おかずの品 数を少なくするかわりに飯と漬物の量を増やして味噌汁を添えるというのが、戦前までのごく当り前の庶民の暮らしでした。