4-1 奈良時代の貴族は白米を食べていた

4-1 奈良時代の貴族は白米を食べていた

 米を主食としている私たちは、飯好きの人なら朝・昼・晩と1日3食、少なくとも1日1回は米の飯を食べている人が多いと思います。その飯のほとんどは、電 気やガスの自動炊飯器で炊かれているわけですが、この自動炊飯器が普及し始めたのが昭和30年代です。それまでは、ぶ厚いふたつきの釜をかまどにかけ、都 市ではガスがあったものの地方では薪や柴、ワラで炊いていました。

 米は縄文時代後期から栽培されはじめ、弥生時代には一部の地域で主食としての地位を築き奈良 時代には常食とされるようになっていました。そのことを示す木簡(木片に墨で書かれた荷札や役所間の請求書)が都跡から出土しています。玄米をついて精白 し、白米と書き「しらげのよね」と呼びました。白米は身分の高い人びとが食べ、庶民はもっぱら黒米とよばれた精白度の低いウルチ米を食べ、アワやヒエに混 ぜることもあったようです。玄米は食べていません。江戸時代に入ると黒米は玄米をさすようになりますが、これを飯に炊いて食べた記録は少なく、食べるため には白米より薪を多く使わなければならなかったからです。このほかに赤米という米の形成質層(つくと糠になる部位)にタンニン系の赤茶の色素を持った米が あり、これを炊くと淡い赤色の飯になりますが、冷めるに伴い茶色に沈着します。現在でも、対馬や種子島などで神様に供える神饌用として栽培されており、東 南アジアではひろく常食されていましたが、白米に移行しています。

 アントシアン系の赤紫の色素が形成質層に含まれる紫(烏)米はウルチ・モチ種とも中世になると日本に伝わります。