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2米は日本をどう変えたの?
2-3 米が日本人の栄養状態を良くした

 一般にエネルギー量、たんぱく質、ビタミンなどの栄養素摂取量に過不足が生じると、人間の身体にさまざまな変化がおきてきます。たとえば、特定の栄養素が不足すると、身長や体重の増加が抑制され、そのぶん身体の諸活動や機能を維持しようとする力が働きます。しかし、過度の栄養素摂取不足がおこると、体の抵抗力が減少し、もはや身体を維持できなくなってしますのです。その結果、いろいろな病気にかかりやすくなり、栄養障害で死亡することさえあります。とくに乳幼児の場合は、栄養不良による乳児下痢症や感染症がもとで死亡することが多く、成長期にある子供などは、身長が伸びなかったり体重減少が観察されます。また、妊婦の栄養状態が悪いと難産や死産の頻度が高くなります。
 栄養状態が悪いと骨の異常として残る場合もあり、これをハリス線とよんでいます。縄文時代のある人の骨に、何本もこのハリス線がみうけられることから、当時の人々の栄養状態が一生のうちに幾度も変動したことがうかがえます。

ハリス線(Harris' Line)
 ハリス線は、人間の体の長骨の骨幹の骨小栓が太くなり横に連結したもので、X線により、横線としてあらわれます。ハリス線ができるためには、栄養状態が極端に悪化するだけでなく、その後、十分な栄養が供給されることが必要であるといわれています。すなわち、食物条件が季節的・時期的に変動し、人びとが極端に飢餓状態になったのち、こんどは十分な量の食物を食べるような場合にハリス線ができるわけです。こうした栄養状態の大きな変動がおこったことがカリフォルニアの先住民の調査からもあきらかです。

 一方、十分な栄養素がバランスよく摂取されると、体格の向上がみとめられることも、またよく知られています。第2次世界大戦をはさんで、昭和13年頃から日本が深刻な食料不足にみまわれると、青少年の体格が著しく低下してしまいました。こうした体格の低下は、戦後、給食やミルクが普及し、栄養素摂取面がすいぶんと改善され、今でも日本人の体格は少しずつではあるが向上しています。
 遺跡にのこされた骨から身長を推定した結果から、成人男子の身長を時代ごとに比較してみると、縄文時代(中期以降)が159cm、古墳時代が163cm、鎌倉時代が159cm、室町時代が157cm、江戸時代が157cm、明治時代が155cmとなっています。
 縄文時代から古墳時代にかけての身長増加は、米食の開始によって栄養が改善され、集団全体として死亡率が低下して、人口が増加したためとする考え方があります。また、これとは別の考え方として、身長が伸びたのは、それまで日本に居住していた集団とは別の、背の高い集団が大陸からやって来たからであるともいわれています。
 ところが、図3からもわかるように、古墳時代以降は、むしろ日本人の身長が低下しています。外部から別の遺伝子をもった集団がやって来たのではないので、身長が低くなったのは人口増加にともなう個人あたりの栄養不足、あるいは、特定の栄養素の摂取不足などの要因が考えられます。このことから、米食を開始する以前の縄文時代の人びとの方が狩猟・漁労などでたんぱく質をとるなど、江戸時代末期の人びとよりも、むしろバランスのとれた食生活をおくっていたと思われます。いずれにせよ、米食の開始が日本人の栄養と体格改善に、きわめて重要な役割を果たしていたことは骨の研究からも明らかです。


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