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2米は日本をどう変えたの?
2-6 祭りや行事は米づくりが起源

 米は霊的な力をもつと考えられていました。古代の宮廷では、皇太子の天皇即位式にイネの初穂を神に供え、その霊力により天皇の霊魂の再生と復活を祈願する国家的な大嘗祭(だいじょうさい)の儀式も行われました。米の霊的な力は、あらゆる悪霊を追い払えると考えられ、そうした観念は神仏の前で米をまいたり、出産の際に女性がこもる産屋に米をまいて清めたりする習慣として今日まで残っています。同様に、餅や節分の豆まきも悪霊ばらいの意味があると思われます。米は神聖であり、特別に霊的な力を持つという信仰が古代からあったのです。

大嘗祭(だいじょうさい)
 毎年、宮中でおこなわれる新嘗祭(にいなめさい)のうち、とくに天皇が即位して以降最初のものをいいます。大嘗祭は、即位の時期が7月前ならば年内に、8月以後ならば翌年におこなわれ、その年にとれた新しい穀物の初穂を皇祖や神がみに供え、天皇御自身も召しあがる共食の祭儀です。

稲作にかかわる祭りとさまざまな儀礼的営み
 干ばつや冷害、秋の台風、異常気象による害虫の大発生といった自然の脅威が、現在に至るまでイネの収穫に重大な影響をおよぼすことはよく知られています。
 こうした収穫の不安定さや自然の脅威をやわらげ、一方では豊作を祈願するために、古くから稲作にかかわるさまざまな儀礼的な営みや祭りがおこなわれてきました。そのなかで最も中心的な役割を果たしていたのが、田の神やイネの霊にたいする信仰です。すでに古代から稲霊(いなだま)あるいは穀神に関する信仰があり、イネに宿った精霊は米倉で年をとり人びとのもとを来訪します。この稲霊が人びとの先祖霊だと考えられていました。稲作の豊饒をもたらす神はふつう田の神として一般に知られ、えびすや大黒とみなす地域もありました。

 水稲耕作は、播種、苗代作り、田植え、除草、虫除け、収穫といった一連の農作業サイクルからなっており、各々の過程ごとに応じた儀礼や祭りがおこなわれました。たとえば小正月(1月15日)、豊作を占う東北地方の田植踊り(特に青森県、八戸のえんぶりは有名)、田植えのさいの田植歌(広島の囃子田)、収穫のさいの初穂を供えて豊作を田の神に感謝する収穫祭(全国各地の秋祭り)などです。このうち、田植えの時のおはやしや歌が芸能となったのが田楽(でんがく)で、古代から中世にかけては芸能集団として活躍する人びともいました。
 米をお茶碗1杯分つくるのに、水が容量でその3000倍も必要であることからもわかるように、米づくりにとって水を十分に供給することは死活問題でした。そのため、水不足を解消するための雨乞い儀礼が全国各地でおこなわれました。日でりをもたらした悪霊を追放するための念仏踊り、太鼓やカネを鳴らし雷を呼ぶ雨乞い踊りも広くおこなわれ、なかには芸能化したものもあります。また、病虫害をなくすため、虫の霊をワラ人形にうつし、焼いたり川に捨てたりする虫送りの祭りも夏の夜におこなわれました。
 小正月は、稲作儀礼が年中行事化したなかで最も重要なもののひとつです。お粥でその年の豊作を占ったり(かゆうら)、粥をかきまぜた棒を田の神として保存し、苗代にお守りとして使ったり、田植えのまねをすることもありました。このほか、現在でも全国各地でイネの豊作祈願と関連した祭りや民謡、踊りがいろいろおこなわれています。

 こうした稲作の儀礼や祭りは、一般の農民だけに伝承されたものではなく、宮廷や国家の儀礼とも深く結びついていました。すでに述べたように、天皇は天からもたらされたイネの収穫を祝う新嘗祭(にいなめさい)を毎年おこないました。皇太子が天皇に即位する大嘗祭(だいじょうさい)は、イネの初穂を神に供えそれを共食することにより天からイネがもたらされたとする神話を、この祭式のなかで実践したものです。

新嘗祭(にいなめさい)
 宮中では古くから11月の下旬の卯(う)の日に、その年とれた穀物を皇室の先祖や神がみに供するための祭りがおこなわれてきました。その年にとれた米や粟のご飯とお粥、白酒、黒酒が神饌として供えられ、そのあとにはなおらいの儀式があり、天皇は神がみとの共食をおこなったのです。新嘗の儀礼は宮中だけでなく、伊勢神宮や出雲大社をはじめとした全国各地の神社においてもおこなわれ、一方、民間では田の神が山に入る日としておこなわれた秋祭り、石川県の「あえのこと神事」にみられるような各地独特の祭りとして残っています。

 また、8世紀にはすでに宮中において、豊作を祈願する目的で相撲が奉納されました。相撲では大地をふむ動作がおこなわれますが、これは害虫や病気などの厄を追い払うとか豊作をもたらす田の神力が田から消えないようにする意味があったと考えられています。
 人びとが神に豊饌を祈ったのは、なにも米に限ったことではありません。すなわちアワ、ヒエ、ムギ、マメなどの穀類にイネを加えた「五穀」が人びとの生活に重要だったのです。これは、イネだけでなくヒエとかアワなどの作物の起源が、古代神話や全国各地に残っているいい伝えのなかで語られていることからも明らかです。たとえば、イネやその他の作物が、人間社会あるいは日本にもたらされるきっかけとして、天から地上にもたれされるとか、神さまの死体から作物が発生したとか、弘法大師とかお稲荷さんが大陸からイネを盗んできたとかいったようにです。作物が天界、死体、あるいは盗みによってもたらされるというモチーフの起源神話(あるいは説話)は、とくに日本だけではなく中国の南部や東南アジアにも広く残っています。このことは、イネが日本にとってもともと外来のものであることを示しています。
 米が重要な食料であったことは、米をついて作る餅が神や精霊の宿る神聖な食べものと考えられ、正月とか節句、誕生、結婚式といった特別の日には、かならずといっていいほど用いられる習慣からして明らかです。正月に祝う年神(としがみ)も田と神と関係がありますし、いわゆるお年玉ももとは年神が配るモチをさしました。ただし、米のモチではなくイモやソバ、アワなどの畑作物を正月用の供物とするところもあり、米と稲作だけで日本のあらゆる祭りや行事を説明できるわけではありません。
 米にコウジを使って醸造した酒は、すでに3世紀の頃から、古代の神事や季節ごとの祭りのなかで集団的に飲まれていました。村でも、祭りの時などはかならず酒宴が催され、集団で飲まれる酒は神との交流をはかるための飲み物として考えられていました。米は酒のほか甘酒、酒粕をつくる材料としても重要でした。


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