11-1 生活に欠かせなかったわらと糠

11-1 生活に欠かせなかったわらと糠

 私たちの祖先は、米だけでなく、その副産物であるわら糠米のとぎ汁を、実に有効に無駄なく日常の生活の中で利用してきました。
 今でも、地方でみかけるわらぶき屋根の材料として、あるいは細かく刻んで土とともに練り、壁土を補強する材料としても用いられました。ほかに、板間に敷くむしろもあります。このむしろは、ゼンマイやサツマイモ、切ったナス、豆などを乾かすための敷物でもあったのです。また、畑で堀ったサツマイモ、サトイモを運ぶ入れ物(ふご)を「おこ」と呼ばれる担い棒にかけて運びました。あるいは、今でいう「ハンドバック」などもわらで作りました。また、幼児を入れる「籠つぶら」もわらで作りました。
 履き物は「わら草履」、雪国で履く「靴」も作りました。雨の日に羽織る「みの」、山仕事へ出かける時の背負(しょ)い子(こ)の「背あて」をはじめ、たきぎに使う柴や薪をくくるのもわら縄、米を入れる袋もわらで作った俵でした。また、正月の神を迎えるために欠かせない「しめ縄」もわら、神社からもらう雑煮を焚く火種も縄綱で、建前の時の神事の「結界」もわら縄です。


 むしろ しめ縄 草履 米俵 背負い子 ぬか漬け 米ぬか 納豆とわらづと


 また、アユやヤマメ、ハヤなどをたくさん釣った時などは、竹串に魚を刺し、いろりであぶって、べんけいと呼ばれる、わらで作った刺し具に竹串ごと刺して、いろり上の天井からつるして保存しました。かまどの灰をはく小ぼうき、鍋つかみ、たわしなど、わらは日常生活に欠かせぬ必需品でした。
 かまどに釜をかけ、飯を炊く最後の仕上げに、短時間わらを燃やし、余分な水分をとり除いたり、炊きあがった飯をおひつに入れ、冬はそれをさらにわら製のふた付かご(ふご)に入れ保温したものです。お見舞に贈る卵を包む舟型の容器も、それらを結ぶひももわらで美しく作りあげました。これは現在でも使っている地方があります。石川県ではブリを保存するために、おろした身に塩をあて乾燥させてからわら縄で巻いて保存します。新巻はサケに塩をたくさんふって身をしめ、新しいわらで包み、わら縄でくくって保存したのです。本来は萱で作った粗むしろです。
 豆腐料理に“つと豆腐”があり、木綿豆腐をわらづとで巻いてゆで、それを適当にきって煮染(にしめ)にします。糸ひき納豆を作るにもわらについている納豆菌を利用しました。
その作り方はゆでた大豆をわらづとに包んで発酵させます。土佐の郷土料理である”カツオのたたき”は、わら火でサッとあぶって刺身に作りました。また、わらびのあく抜きや、黒豆を煮る時の灰水になくてはならなかったのも、わらを燃やした灰。この灰を水に溶かし、その上澄みを使うのです。
 米を精白した時にでる糠は栄養分が高いので、塩水で練り漬物の床(糠味噌)にしました。たくあん漬は、貯え漬のなまったもので、ダイコンを風干して塩を混ぜた糠をふりながら漬けます。糠漬は野菜だけでなくイワシなどを漬けることもあり、糠に含まれているでんぷんが乳酸発酵し独特の香りをかもし出します。
 糠は、今のように洗剤が十分でなかった頃は石けんの代用品でした。柔らかい布で包んで皿を洗ったり、風呂で体を洗ったりしました。今でもタケノコをゆでる時に糠を加えることがあり、米 糠に含まれているカルシウムがタケノコのあくを引き出し、白くゆであげる漂白作用もします。ゴボウやダイコンを下ゆでしたり、干した身欠きニシンをもどす のに糠を水の1割ほど加えて使います。もちろん、米のとぎ汁である白水でも代用できます。日本では利用されていませんが、インドネシアのウジュン・バンダ イでは、米のとぎ汁に7~8種の香辛料を入れてスープを作ったりします。
 肉を主に食べる民族は血の一滴まで余すところなく徹頭徹尾食べ尽くし、利用しますが、米食民族であった(本当は希米民族)日本人は、稲を余すことなく徹底的に、無駄なく、細やかに、美しく利用してきました。